教育実践は「他を頼む」ことで豊かになる

 「生徒指導の研究」と「道徳教育の研究」 今日の授業の命題は、何と言っても、教師の実践力量は英雄主義では成り立ち得ない、いかに「他の力」をあてにするか(ということは、「いかに他からあてにされるか」)」という学校の組織原則が必要になる、もちろん個々の教師に求められる認識と実行である、ということである。「生徒指導の研究」は理論講義で、「道徳教育の研究」はディベートで、進めた。
 ディベートの命題は「「道徳」はいらない」である。「道徳」という概念についてはこれまでの授業で話してきているからとくに説明をしなかった。資料としては学習指導要領(中学校編)と教育基本法。先週行なったディベート(「同性婚は認められる」)の参加者たちには「審査員」となってもらい、先週欠席者は機械的に「賛成」「反対」のそれぞれに座らせる。それぞれを2チームに分け、チームによる論理合戦というディベートを進めた。1チームあたり所有時間7分。作戦会議(資料の再学習を含めて)30分。この作戦会議いかんによって前半戦の勝敗は決まる。その結果を受けての後半戦は、文字通り、論理力、表現力、チーム力の闘いとなる。
 ディベートで「チーム力」を培うことができると、改めて確認。今までの班活動だと、発表者にすべての責任を任せて、極端に言えば、他は眠りこけて時間を過ごす、ということが多い。その対処のために神経を尖らせるという無意味なことを続けてきていたが、ディベートになると、ほぼ全員が顔をつき合わせて資料の読会をし、作戦を練る。代表の発表に真剣に耳を傾ける、時間が余れば積極的に補充意見に立つ。非常に活発な学生の参加光景である。
 審査集団の声より。
「今日は後半審判団係りでした。論理的に話すことはもちろん難しいことですが、それを採点するのも思ってたより、むずかしかったです。話している人は一生懸命で、熱くなっているから「〜と思います。」を連発してたり、同じことを繰り返してまったり、少し論理が矛盾してたりする部分があって、これは審判団だから気付くことだし(客観的に見るため)ちゃんとチェックしていなきゃいけない部分だったんだと思いました。
 賛成も反対も、みんなで協力して論理を組み立てていて、命題を間違えてしまったのがもったいなく思いました。聞いていても楽しかったです。」
 そうそう、論理合戦ですっかり熱くなった学生たち、長く続く勝利(敗北)の握手と「敵側」の健闘を讃えるブラボーと、審査団のスタンディングオペレーションと、にぎやかな閉会「儀式」のため、「リアクションペーパー」に記入する余裕時間がなくなった。「いつもの出席表です」といって配布すると(約80名)、全員、終了の鐘など無視して、書き込んでいた。これなど、「書いてやるケンね」ではなく「書きたいのウチら」という行動である。