どう訳するかなぁ

 maïtre(メートル)が盛んに出てくる。「教師」と中野氏は充てている。ただ、ぼくたちが日常的に使う今日的な意味での「教師」とはまるで違った意味合いでセガンはmaïtreという言葉を使っている。絶対的服従関係の「主人」と言ったほうがよい。
 フランスの小学校での参観を繰り返していくと、やがて、子どもたちが教師を固有名詞・愛称で呼ぶ場面とmaïtreと呼ぶ場面とがあることに気づかされる。前者は親和的な関係性を示し、後者は畏怖的な関係性を示す。だから、フランスでは、今日もなお、教師と子どもの関係は畏怖的関係、すなわち絶対的服従関係を残しているのだな、と思わされる。そういえば、「教室に入るのはメートルの許可がなければ絶対に入れないんだよ。」と教わり、ぼくも子どもたちの列に混じって、メートルの号令によって教室に入ることを求められた。
 こういう文化性を背負っていることを踏まえて訳出をしなければならない。セガンがOという人の子息の教育のあり方について助言をしている文書。内容から言ってO氏は資産家である。つまり、家庭教育方針についての助言。セガン27歳の時のことだが、まるで、ジャン・ジャック・ルソーが『エミール』をしたためたのと同じである。『エミール』はある貴族の婦人に対して子育てのテキストとしてしたためたものであったのだから。そして『エミール』にもmaïtreという言葉は頻出するし、maïtreは子どもに対して絶対的服従関係にある。
 「白痴」とはセガンはこの書では書いていない。一般的な子育ての書のように読むこともできる。しかし、「白痴」教育を手がけ始めたばかりではあった。「白痴」の子どもについての子育ての書。裕福な家庭では幽閉し、放任し・・・など、「白痴」の子どもはなんら未来の「市民」として期待されることはなかった時代、もちろん貧窮家庭では「白痴」は棄てられた時代、そういう時代背景を持っている『子息の教育についてのO氏への助言』は、きちんと読まれなければならない。
 そういう意味でも、「教師」?「主人」? 安定した訳語を考えなければなるまい。