教育史の常道

 教育史の常道は、身分が高い者や経済状況に恵まれた者ほど個別教育が強く為され、それとは逆の者ほど組織的教育が為された。この常道が白痴の子どもたちにも当てはめて考えることができよう。棄て児・孤児、貧窮児などを事情として救済院・施療院等の社会施設に収容された白痴の子どもたちには、組織的教育が試みられるようになった。しかし、そうではない子どもたちには、ごく少数の恵まれている子どもに限られるが、個別教育が為されていた。組織的教育の成果は継承・発展させられるが、個別教育は一般には秘匿される宿命にある。ましてや白痴教育に関してはその秘術すら語られてきていない。これが青年セガンをとりまく環境であった。時を下って『1846年著書』に次のような記述がある。「ルソーはすばらしい本をものにしている。それは個人の教育について綴っているが、多くの人の教育に有効である」と(p.340)。まだ30歳になっていないセガンがルソー『エミール』を読んだ上で第2教育論をまとめたのかどうかはわからない。しかし、ルソー『エミール』が読み継がれていったその原点に、セガンが逢着したことは事実だろう。白痴の子どもたちの教育手引き書を綴ろう!と。

ー こんなことをセガンの初期教育論の結論として考えた。

 今日はレストラン10周年ということで、貴婦人とお邪魔した。やはりソースが最高である。秘術をお伺いした。ますます、これからもいただきに上がりたいと思った次第。