2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

雑事あれこれ

○非常勤講師を務めているところから「宅急便」で書類が届いた。じつは数日前から配達されていたのだけれど、いつも不在通知が入っている。まあ、こちらが留守にしているってことなんだけど。娘に教わってweb利用で配達指定をし、今日の午前中にやっと手に入れ…

鶴における年金問題

65歳前に老齢基礎年金の手続きに来い、という通知が来て、もうわいも終わりやなぁ、との思いを持って社会福祉事務所?に出かけたのは3年ほど前。「今手続きしてもすぐには年金は支給されません!」との念押しがしつこく為されたからだろう、臍を曲げたぼくは、…

「オレは先駆者だ。無礼者め。」

こんな激しい言葉を使うのは鶴のみで、「社会性」が豊かな方は、静かな語りでガツンとやる論法を用いる。もちろん、世情はこの方を支持する。 「あんた(鶴のこと)の論文は読んどらんで。オレはむーかし昔の到達を書いただけや。せやさかい、あんたのことを…

研究の発展?

トドちゃんが「高島易では今年のツルピンは研究が発展するんですって。」と年始めに申された。そんなことねーべ、もう精も根も尽き果てたぞな、いや、生活綴方の「宿題」が残っちょる、そんなん残務整理やんか、などと否定的にぼやいていた。 そして今振り返っ…

やれやれ、というか、いよいよ、というか、「ヤベ―」の行動が目立ち始める

道徳教育の研究Bグループ活動の第3回。授業前、授業中、「グループにぃ、所属してないんですけどぉ。」と申し出、2件。いずれも参加を拒否。授業前のは簡単に「お断りします」で済んだ。 授業中(グループ活動開始後しばらくして)のはロングスカートの片方を…

本谷実践の学び

昨日の自主ゼミは本谷宇一さんの講演。学生の参加は12人。今年に入って参加している学生が多く、それはそれで嬉しいが、今自主ゼミ結成を準備し始めたちょうどその曜日(一周年)にあたる昨日という節目を考えると、少し寂しさを覚えるが、それは感傷という…

覗き見

もう2年以上も前になるのか。写真ファイルを整理していたら、ジャマイカ中央部のフランク・フィールド市内のいくつかの学校を訪問した時のが出てきた。世話をしてくれた人に引き連れられるままの訪問だったので、行き当たりばったりの撮影。そこに生徒がいれ…

せわしない日

いつもは訪問客などいない研究室にも、たまには、学生たちが状況報告やら相談やらを持ち込んでくる。「先生の授業の単位、絶対に落としません!答案にハートマークいっぱい書いちゃいます。」などと言うお嬢さんに始まり、就活で忙しく動き回っているけれど、…

しゅんな寿司

知人の有さんがブログ「たまにはブログ、飲むはどぶろく」で時々御徒町駅前の吉池の寿司屋で寿司を食べたという記事を書く。おいしいという。是非ぼくも食べてみたいと、今日、職場別部門で4月からアルバイトをしているおねえさんをお誘いし、吉池ビル6階の…

どうせなら久米仙人になりたかった

今日はさるお方のお誕生日。朝から賑やかなメールのピンポン。Tは鶴、Hはさるお方。 T:おはようございます。お誕生日おめでとうございます。 H:おはようございます。ありがとうございます。魅惑の○○路入りです。 T:魅惑万歳! H:にじみ出る魅力をとくとご覧…

HP大改訂

なかなか仕事に集中できないので、HPをいじった。ファイルの入れ替えだけと思ったけれど、トップページのレイアウト大改訂。http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~920061/index.htmへどうぞ。まずは見てのお楽しみ。

訃報に接す

先ほど届いたメールにある人が亡くなったという知らせが綴られていた。 ある人とは品田義国さん。ぼくがセガンに関わって報告した昨年の秋の「ことばと教育の会」という研究会で初めてお目にかかり、その後数度の手紙の往来をさせていただいた。日本の学校制…

ぼくにとってのパリ

ぼくがフランス、とりわけパリに愛着を覚えるのは何なのだろう。現代のフランス文化にはさっぱり興味を持つことのないぼくがいる。モンパルナスやポンピドーのような、あるいは副都心のビル群のような、モダンな建築物が視界に入るとさっさとその場を去るぼ…

「セガン研究の足跡を辿る旅」在パリ編

2006年のパリツアーを下敷きにしよう。次の通り。 パリの古代から現代に至るまでを、建築物でたどる。もちろん特徴的なもののみ。 1.(古代)円形競技場および大浴場の史跡。円形競技場は植物園近く。大浴場跡はカルチェ・ラタンの中世史博物館裏手にある…

今日の三題噺

その1 聴覚障害者の戯言・・・「常識」(ある意味「聴覚」と同格の現実がある)で認識を構築してきた人々にとってすれば、「常識」の方が事実であるという認識に固執したくなるのだろう。しかし、もともとが「常識」を自己内化していない私―なんと言ったって「…

オレもしつこいな

セガンが「サルペトリエール院」で実践をしていないと気づき、ほぼ確定した時の日記を再現しよう。 2003年11月7日 午前中、セガンについて、これまで調べたことと先行研究との間の齟齬について、清水先生と電話で詳細な検討。不明なのはサルペトリエール総合救…

YT先生、それでもセガンは「サルペトリエール院」で白痴教育を実践したというのでしょうか?

セガンがフランス時代をどのように過ごしたのか―いわゆる半生史―については、拙著『知的障害(イディオ)教育の開拓者セガン―孤立から社会化への探究』(新日本出版社、2010年)で、伝聞や風説の類ではなく、セガンの著書論文の分析はもとより公文書類、当事…

セガンの実践の場

セガン白痴教育のフランス時代の活動の姿、活動の場などは、セガン自身がその代表的な『1846 年著書』に明記している。次のようである。 (同書pp.323-324) (1)エスキロルの指導を得ながらイタールを模倣した事からセガンの白痴教育の足跡が刻まれることに…