2009-01-01から1年間の記事一覧
ある書物で「乳を与える母の歌」との訳語が与えられている原語はla chanson de sa nourrice。 手元のフランス語辞典を開く。nourriceには実親つまり母親の意味はない、少なくともぼくの使用する辞書では。「乳母」や「里親」を字義に充てる。「乳母」は「乳…
Édouard Séguin (* 12. Januar 1812 in Clamecy (Nièvre); † 28. Oktober 1880 in New York) war ein französischer Arzt und Pädagoge und gilt als Begründer einer wissenschaftlich-systematischen Geistigbehindertenpädagogik.そうそう、一単語の文字…
せっかく二冊目のラテン語辞書を買ったのでしょ。 イヤにならずに、ちゃんと活用しましょうね。
去る16日夜、元同僚のM先生とU先生と酒を酌み交わした。10年以上もの間の空いた、ほんの一時の交誼を結びあった。と言ってもお二人の現在はそれぞれの所属大学で要職にあり、大学教育界を背負っておられる。「川口さんはどこかへ潜ってしまった」と思われて…
L’Académie de médecine a élu, dans la même séance, à la presque unaminité des suffrages, membres corespondants étrangers : MM. Les docteurs Léon Révilliode, de Genève, et Edward Seguin, de New-York.
秋空が広がる清瀬の道をゆったりと歩き、心地よい汗をかき始めたころ、日本社会事業大学に着く。授業時中だろうか、キャンパス(中庭)には人影がない。 図書館に入り書架の列の中を歩くが、背文字を読むのがかなりつらい。今朝、左目がほとんど物を見分けら…
台風の中、少し小降りになったのでイチョウの木の枝を2本落とした。ほかから飛んできた木の葉が顔や頭をべちんべちんと打った。面白くはありましたね。50年以上昔、大型台風直撃によって我が家の屋根のトタンが吹き飛んだ音がした。母が「屋根が飛んだでひ…
清瀬からの帰宅途中の池袋。山手線に乗り込んだところへにこやかな笑みを湛えた、なつかしのそうさんと出会う。ホームに下りてしばしの語らい。もう4年も会ってないのですかねぇ。「かわいい娘」は健在でした。娘の連れ合いも、相変わらずで、がんばっている…
日本社会事業大学でのIDをいただいた。早速ネットにアクセスを試みる。メールサーバーにはアクセスできない様子。特段にメール交換の必要はないが、こちらで作成したファイルを研究室にネットで直送できるかと考えていたのだけれど、今のところ無理のようだ…
昨日S先生に1848年「労働者の権利クラブ」ポスターをファックスでお届けしたので今朝、確認の電話を差し上げた。「セガンに出会ってから45年、これぞ最高の資料なり、とメモをしました。」との返事をいただく。ついでに、出版社について、その住所について、…
研究室にて、フランス国立図書館のデータベースで関係資料を閲覧すべくログインしたが、いつもと代わらない操作であるにもかかわらず不正操作だとみなされたのか、ファイル展開が不能な状態。また日を変えてアクセスするしかないのだろうか。 いくつかのフラ…
貴婦人を上野コーリャンタウンの板門店にお誘いし、焼き肉をいただく。どぶろくも忘れなかったな。カルビ、タン、ミノ、レバ、チジミ、漬け物(名前ど忘れね)。おいしかったね―、また来ましょうね―。 その後研究室で作業。今日も新しい文献と出会う。セガン…
雨の中だったが、清瀬駅から日本社会事業大学に徒歩で向かう。 午後1時、お世話いただいてきたT先生のご案内を得て、社会事業研究所長のところへお伺いし、辞令をいただいた。研修室は模様替え中なのでまだ使えないとのこと。その後、T先生のご案内を得て…
畏友のNくんとお昼を会食。彼が非常勤講師控え室で外国人講師の語りで耳に挟んだ「駅前の交番の向かい側に、新しくフランス料理の店ができたそうで、ランチが1100円だそう。」という情報。「だから、そこに行ってみましょう。」とのお誘い。きっとあのクレー…
昨夜は、日頃何かとお世話になっている、二人の素敵な、つまり素敵な、素敵な副手さんと、浅草橋のフランス料理店で会食をした。 昨日の会食の段階では、あれもこれも、ブログに書こうと思ったのに、いまは言葉になって出てこない。とにかく、ご満足いただけ…
イディオの教育についての学習はいっかな進まないが、セガンという人の歩いた道と立ち寄った館については、だんだんはっきりとしてくる。 東フランスの地方都市で幼少年期を送ったセガンがパリに上ったのは何歳の頃なのだろう。とにかく、パリのセーヌ川左岸…
フランスのセガン研究者が「セガンは『ラ・プレス』という新聞に芸術論を寄稿している。それだけでなく、『ラ・プレス』紙の発刊に関わっていたようだ。」と書いている。それを手がかりとして『ラ・プレス』紙の寄稿評論を探し当てたのは数年前。今日は、それ…
昨日の午後、貴婦人と浅草花やしきで遊ぶ。 上田庄三郎が高知・土佐清水から一家で上京した折、最初に訪れたところだ。そのこともあり、また、浅草界隈を散策する折り目にするので、一度来てみたいと思っていた。いつものもんじゃやさんで、ぼそっとそのこと…
「イディオを共同体との関係性で「孤立」だと捉えていた18世紀までとは異なり、19世紀のイディオの「孤立」は、自然、社会等、あらゆるものとの「孤立」―そう、彼自身の諸器官間でさえ―が原因であると、突き止められた。そして、その「孤立」はまったく固定されてい…
日曜日に予定していた「言葉と教育の会」中止の連絡。T先生が脳梗塞のため入院治療。S先生が喉より出血、精密検査の必要がある、とのこと。大御所の急変に小心者のぼくはあたふた。あたふたしてもしようがないが、やっぱりあたふたあたふた。 来月から日本社会…
見つかったその1 ETHNOEDUCというブログでEdouard Séguin, l'instituteur des "idiots"と題された論文がアップされているのを見つけた。この表題自体は陳腐ではあるが、セガン以前、セガン、セガン以降という時の流れでセガンの業績を追っている点、ぼくには…
修道士などが精神病者と同居生活をしていた、労働も一緒。このことは中世に源を見ることができるらしい。では、精神科医が「健康の家」を創設し、精神病者をそこに住まわせていた、というのはいつごろからなのだろうか。ピネル、その弟子のエスキロル、ベロ…
ひねもす、ねたり、ねたりかな。 しゅうじつ、ひたすら、ねむりけるらむ。 なーんも、まえにすすまない、いちにちであったことよなぁ。
敬老の日?ホンマ?全然うやまわれないけれど、うらやましがられたかも知れんな。 媛さまにお尋ねしたら、ジイ、わらわは、浅草なるところにて。もんじゃなるもの、食すること苦しからざる、と申されるので、ひとひとひとひとひとひとひとひと無礼な人目が付…
その1.媛様との「デート」は明日午前11時待ち合わせに決定。どんなお話を聞くことができるやら。 その2 貴婦人よりお土産をちょうだい。もちろんお話のお土産もたくさん。かなりお疲れのご様子でした。でも、お話は楽しいことばかり。 その3 久しぶりに清…
貴婦人親子が無事帰国されたとのこと。楽しかった日々のことなど、お話を伺いたいものです。それにしても、今日から大型連休で、出かける人が多いというのに、入れ違いのおもしろさ。 ご無事で何よりでした。
大衆小説作家ウージェーヌ・シューについて ウージェーヌ・シュー(1804-1857)はヴィクトル・ユゴー(1802-1880)とほぼ同じ世代の大衆小説作家である。社会ロマン派に属したこと、大衆に大変人気があったこと、第二共和政期に立法議会議員に選出されたこと、さ…
セガンが1843年で白痴教育に携わったビセートル救済院の「学校」については、ウージェーヌ・シューの新聞連載小説『パリの秘密』で描かれていることは承知していた。古書店で『パリの秘密』全4巻を入手し、「学校」が確かに描かれていることを確認したときは…
1.昨日のこと、一人の紳士が研究室を訪ねてきた。微かに見覚えがあるような、無いような・・・。ぼくがこちらに着任した年のことも知っておられる。「生徒指導の研究の授業を受けました」「ほかの授業は何でしたか、それは100点をもらいました」という語り…
1.社会階層の最上層にしか生活のゆとりが及ばないときに、そして人間性がまだその全一性を経験せず、人民を軽んじる貴族政治のもとで傲慢にも打砕かれたままになっているときに、キリストへの信仰によって支えられ、地上の科学の柔弱な伝統を用いて神の前…